50MHz SSBトランシーバーと
そのシステムの製作
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自作した6mバンド SSBトランシーバーです、外観は当初から変りありません。
メインダイヤルは1956年頃(昭和31年)松下電器産業より発売された40:1ギヤ比の当時の高級ダイヤルです。定価5千600円だったとおぼろげな記憶があります。
その頃 私は24才 月給は1万円でした。
このダイヤルの最初のオーナーはJA3BLNさんでした、
1971年JA3IVHさんから私に1千円でトレードされました。

2001年6月のアンテナ周辺の状況です。


 写真のアンテナは、ラムダ社製のLQ−1 6エレメントキュービカルクワッドです。 2007年11月まで20年の長期間 手応えよく使用して来ましたが、グラスファイバーをエポキシで加工したエレメントロッドの風化が進み破損し始めました。
同アンテナは製造終了していましたので、ラムダ社の吉田様に教えていただいて パーフェクト・クワッド社製4エレメント キュービカルクワッドに置き換えました。

 鉄骨はアンテナから50m離れた大阪方向にある45m高の建築中のマンションです。
撮影場所はアンテナから30m離れた更地でした、今は この更地にも30m高のマンションが建ってJA8方向を塞いでいます。
当局のアンテナの高さは22mです。

 当局のロケーションは京都市下京区の市街地で、周囲をビルに取り囲まれ、東方2Kmには海抜200mの東山連山が横たわって、まともな電波の通り道はありません。こんな所で6mをやっても仕方がないのですが、ビルは後から建てられたもので、私が6mを始めた頃はこれほどひどい状況ではなく、8mぐらいの低いアンテナでも結構楽しめたものでした。

 当局の常置場所で私のRXはJA2IGYを受信したとき、1990年頃まではS1振っていました、2008年頃にはコンディションの良いとき微かに存在が分る程度でSメーターは動かなくなりました。
1985年頃このRXを鳴き合わせに他所へ持っていったとき、S9振ったものですから、皆さんに笑われてしまいました。私のRXはS1つ約3dbになっているので、いつもより約24db強く入感したことになります。




回路を機能ごとにユニットに分け
1ユニットづつ順々に作り上げる方法を取りました

 この方法は部分的に作り直すことが容易です。
1972年(昭和47年)5月に第1号ユニットであるSSBゼネレーター基板が出来上がってから現在までの間に、どのユニットも2代目ないし3代目に置き換わっています。


お急ぎの方はここから写真集へどうぞ



   
 
 
 

 
 
 
 
 

SSB変調器(SSBゼネレーター)


2代目 9MHz SSBゼネレーター(LM1496使用)
 初代 SSBゼネレーターはPSN型でした。

 モジュレーターには当時入手可能になったばかりのRCA製ダブルバランスICのCA3026を使うことに決め、データーもわからないまま試行錯誤しましたが、キャリアーバランス再調整の必要もなく動作安定でした。

 ポピュラーなLM1496が出回るようになる少し前のことでした。

変調器の説明へ    系統図へ戻る









マイクロフォン増幅器には制限増幅器を付加しました


  穴あき基板上に作った2代目制限増幅器
 モジュレーターやその後に続く回路がオーバードライブにならないように、性能を重要視した 制限増幅器を付加して、スプラッタの発生を防止し平均変調度を上げています。

 現在は、OPアンプを使用した2代目に更新して、さらに高性能となっています。


制限増幅器の詳細説明へ

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41MHz PLL ローカルオッシレーター


 08年5月改修しました 詳細記事を追記しました

 当初はプレミックス方式でスタートしました。VFOとヘテロダイン水晶発振器の、スプリアスのない周波数の組み合わせは、いろいろ検討しましたが遂に見つけることが出来ませんでした。

 4年後 2代目を製作し、当時普及し始めたPLL制御方式の41MHz直接発振とし、リファレンスVFOの周波数を7MHz台に下げて安定させ、 ようやく落ち着きました。

       PLLユニット基板(2代目)

ぎゅうぎゅう詰めパーツの真ん中下に
PLL ICが載っています

ローカルオッシレーター詳細説明へ

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 2008年3月 突如故障が発生し、L.O出力がストップしてしまい修理に取り掛かったのですが、
うかつにも発振器用のFET 2SK125を外した際に破損させてしまい、代品の2SK192に取り替えたところ動作不調になったままどうにもならなくなりました。
 回路、部品定数、動作などを再検討し、2ヶ月掛りでやっと正常動作する様になりました。詳細説明ページのほうに書き加えておきます。

 改修にあたっては 最近考えつき 利用し始めたダイレクトコンバージョン復調器及びA-D変換器とパソコンソフトによる 簡易スペクトルアナライザーが大活躍しました。


VFOにはDDSを使えるようにしました



 41MHz PLLローカルオッシレーターのレファレンスVFOには、主として秋月電子のDDSキットとDDSプラスユニットキットを使用しています。

 周波数アップダウンの制御はロータリーエンコーダーにせず、プッシュボタンを使い、CMOS ICでパルス発振器とロジック制御回路を別に作り、DDSプラスユニットに付加しています。

 パワーオン時50.15MHz(7.3MHz)で自動立ち上げにしています。

 秋月電子のDDSキットは、VFOの不安定さに悩まされ続けて来た私にとって、救世主出現の思いでした。自作ハムのために、今後とも末永く発売を続けて欲しいと願っています。




詳細説明へ   系統図ヘ戻る





最初のQSOは 1973年2月18日出力200mWでした

 PSN SSBゼネレーター・音声制限増幅器・41MHz PRE MIX VFO が出来上がったところで、デュアルゲートFET 3SK35をシングルミキサーにしたミキサーユニツトを試作し、バラックセットのままアンテナをつないで 200mW出力で OAしました。

 この頃 6mバンドは A3から SSBに移行して A3に残っていたのは私だけでQSO相手がいなくなった時期でした、30Km離れた大阪の JA3ABB 浅見さんから51のレポートをもらいほっとしたものでした。



ミキサー(50MHzアップコンバータ)は早々に作り直しとなりました

  3代目 ミキサー (05年3月,07年4月 マイナーチェンジ)
 OAが出来る様になってつかの間、出力を確認しているとき、変調を掛けていないのに小さく出力があることに気付きました。
 SSBフィルターを使っていないのだからキャリア−漏れが大きくなったんだろうぐらいに考えて調べたら、なんと局発の漏れが50MHzの信号より大きくて、複同調回路のおかげで抑えられているだけで、変換利得も低く、FETのシングルミキサーではどうにもならないことがわかり、ここにも変調器で採用したダブルバランスIC CA3026 を使って作り直しましたら、局発の漏れは無くなり、増幅段数も1段減りました。現在の 3代目もこの IC を使っています。


詳細説明へ(08年8月追記しました)   系統図ヘ戻る





ファイナルアンプ


 1973年6月当時50MHzSSBで10W出力の適当なトランジスタはなく、出力8Wの東芝2SC1377があるだけでした。勿論 175MHzプロ通信用の高価なものは各種ありましたが、ほとんどがFM用で耐電圧が低くやり難いものばかりでした。やっと入手したジャンク品の2SC636を使って恐る恐る動作させ、6W出たところで初QSOして一息つき、更にQROと欲張ったとたん音も無くお終いでした。結局2SC1237・2SC1377のラインナップで8W出力がスタートでした。

 翌1974年早々に初めてオールトランジスター6m専用10WトランシーバーFT−620が発表され大変なブームとなりました。ファイナルTRはNECの2SC1307が使われており、私も手を尽くしてこれを購入して取り替え、10W出力にしました。コレクター電源電圧は24Vでした。

 ロングラグチュ−をすると、たまに熱暴走を起しました。原因は放熱器がやや小さいことと判りましたが、大した温度上昇でもないし、収納スペースがなくてこれ以上大きな放熱器は入らないので、ベースバイアス回路のブリーダー電流を増加して見たり、発熱を検出してバイアス回路にフイ−ドバックする自動温度補償回路など試みましたが、TRがプラスチックパッケージでは熱伝導が悪くてうまくいかず、頻々と発生することもなかったので、そのまま10年間悩みつつ運用しました。

   MOS FET 3段構成のファイナルアンプです
 1983年秋 シリコニクス社のパワーMOS FET DV2840シリーズを使ってみませんか、と業者さんから勧められ、パワーFETの使用についてハムの世界でもぼつぼつ話題に上ってきた頃だったので、無謀にも1シリーズ分3個で3万円超の大金をはたいて買い込んだものの、参考文献などまるでなく、試行錯誤の連続で、1年間散々苦しんで、もう駄目だと諦めようとした最後の手段が劇的に有効で、快調に動作するようになりました。
 20W運用が許可されたときは、電源が弱くてアンレギュ対策をしましたが、ドライブ入力を増しただけでそのまま使用可能でした。


ファイナルアンプ詳細へ(08年8月追記しました)   系統図へ戻る


 

スピーチプロセッサー


 40Km以上離れた阪神地域の局とラグチュウするには、パワーアップとRXを静かにすることしか手がありませんが、反射神経が最低で上級資格取得が絶望的な私ですので、仕方なくスピーチプロセッサーでトークパワーを上げています。

現用の2代目です 音声信号のままでプロセッシングしています。

本体に収まらなくて外付けになっています。

聴感効果はどんな回路方式でも、ほぼ 6dbから 10db程度はアップしますが、音質の良し悪しには大きな差があります。

右側の穴あき基板の部分がプロセッサーです。
左側はレベル表示部で当初からのものです。

回路の詳細説明へ  試 聴  系統図ヘ戻る


RX IF AUDIOユニツト
(IF,NB,DET,SP AMP)

 半導体受信機の完成は1983年(S58)9月、着手から11年後でした。

IF増幅には当時人気のあった
ナショナルセミコンダクタ社製
IFシステム用IC LM-373
を選びました。

ノイズブランカーを良好に動作させることが重要課題でしたので、受信ミクサーからノイズゲートへ入る迄のIF帯域幅を、許容限度まで狭めることに力を注ぎました。

真鍮のシールドケースに NB AMP を閉じ込めています。

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ノイズブランカーユニット

シールドケースの中の様子です

最初試作したときはシールドなしでした。
ノイズブランカーをONにすると、スピーカーから猛烈なノイズが飛び出してビックリしました。

ノイズAMPを完全シールドして、アース側も浮かせ IF 基板へ1点で落としてノイズが外へ飛び出さないようにしました。

ノイズAMPのなかでアース回路がコモンインピーダンスになって発振しないよう基板のパターン作成時に注意しました。

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ノイズブランカーは頑張って作りました


 私の常置場所は、1962年(昭和37年)開局以前から 昼間 物凄いノイズが連続的に発生していて、夜になると嘘のように静かになりました。
 原因は街中に張りめぐらされている 3300V 配電線の放電に拠るもので、1983年(昭和58年)頃 6600V に変更改修されるまで延々続きました。
 当時の私は6mバンドの常態はこんなものなのだと理解していました。改修工事されたとたんにノイズがピタリと止まったので始めて原因に気がついた訳です。

 AM時代から受信機にはオートマチックノイズブランカーを組み込んで対処していましたが、原理的にSSB受信には全く利かない回路で、新しい回路を製作する必要があり、回路が決まる迄に3年の歳月を費やしてしまいました。

 メーカーが自社のトランシーバーに組み込んだ回路を公表していたものを見習って各種試作し、当時使用していた真空管式受信機に組み込んで効果を試しましたが、当局の厳しいノイズ環境の中ではどれも満足に動作するものはありませんでした。

 そのなかで当時ヤエス無線のFR−400型のオプションとして発売されたノイズブランカーユニットの、信号とノイズを自動的に分離する回路の方式が、ものになりそうな手応えを感じたので、ひねくりまわして色々とノーハウを得ました。

 完成した時は写真の様に原型からかけ離れた大げさなものになっていました。


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フロントエンドユニット

 当時のコンテストの状況は凄まじい様相でしたから、自作派の皆さんのフロントエンドの製作に対する気合の入れようは大変なものでした。
 なかでもJF1WPR柳橋 健さんが1979年1月ハムジャーナル誌に発表されたVMOS POWER FETを使ったローノイズプリアンプと、その後同氏がCQ誌に連載された、フロントエンドシステムの一連の記事を読んで、その必要性に全く同感し、私も真似をさせてもらおうとしましたが、その本格的で徹底的な規模に私の用意していた電源や収納ケースがついて行けず、及ばずながらミニァチュア版でもよいから可能な限りインターセプトポイントの高いものにしようと考えて製作しました。

ユニットは縦向けに取りつけています

VMOS FETはIdを多く流しているので特大の放熱器をつけています

中央上部は
 DOUBLE BALANCE MIXER
 POWER DIVIDER
 PHASE DIVIDER
 で構成した
 IMAGE REJECT MIXERです

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動作・性能の検証 (08年8月追加)


 ハムが機器を製作し完成したとき、同好の方々に伝えたい気持ちに駆られるのは当然のことと思います。
私も このページを皆様に見てもらおう と臆面もなくさらけだしています。

 さらけだすにあたって 心に引っ掛かることは、「この自作機は本当に完璧に動作しているのか?」ということです。
私自身で使っている限りは 何の支障もなくFBなのだけれど、 ローカルの方々にスプラッタを浴びせたりして迷惑を掛けていても、製作した本人には直接苦情を頂くまで分らないことが往々にしてあります。

 AM 時代 過変調はあたりまえ意識の時代でしたから、交信相手にレポートをリクエストしても「FBですよ、強力な変調が掛かっていますよ。」ぐらいにしか答えてもらえませんでした。
 自作の変調器が開局時から寄生振動を起こしてモンキーチャッターが出ていたのに気付かずにいて、それを指摘してもらったのは3年も経ってからのことでした。
 自作PSN変調器でSSBを始めたときは、10Km離れたOMにドレークのシステムで検査してもらい VY FB とお墨付きを頂き、いい気になって 3年近くラグチューに励んだ挙句、ローカルのOMに「サイドがめちゃめちゃに広がっているぞ」と叱られるまで気付きませんでした。
 また 私の自作リグはチャンと(結果的・客観的に見て)動作していたのだけれど「あなたのリグはおかしいのでは?」とリポートをもらい、単純に信じ込んで対策に悩んだ経験もあります。

 私が製作を始めた頃 持っていた測定器は 1KΩ/Vのテスター 1台だけと云う有様でした。
6mAM 受信機と送信機はこれで出来上がりました。

 入力は25Wに制限されていましたので、リグにはジャンクのメーターを取り付けて、プレート電圧と電流を倍率器とシャント抵抗をテスター頼りで手作りし ワンメーターのスイッチ切り替え式で入力電力を測定出来る様にしました。
ダミーロードは40Wの電球で、出力の確認は光り具合で判定しました。
変調度の観測は電球のパカつき具合が目安でした。

 電波発射にあたって 反射波を看視する必要を感じ、送受信に利用していたTV受信用300Ω平行2線式フィーダーに 同じ材料で作ったツインランプを取り付け SWRの絶対値も測定出来ないまま「今日は反射が少ない」とか「雨が降っているから反射が多い」とか平常の差を感じる程度の看視でした。

 私の アマチュアラジオの入門はこんな荒っぽいやりかたから始まりました。

 受信機の性能は 6mバンドではコンテストで運用すれば、長所も短所も たちどころに判明するでしょう。
 送信機については 自分の発射する電波の質を検査することは結構厄介なことですけれど、自作送信機の性能を信頼し自信を持って運用するには、可能な限りいろいろ測定を行いその性能を数値で知ることが大いに必要な作業であると思います。

 測定する必要がある項目には 出力電力と直線性が真っ先にあげられますが、そこに至るまでの製作中には各ステージの入出力レベル,直線性,信号対雑音レベル比,他に回路の持っている機能が意図どおり動作しているかの確認等 何れも測定の必要のあるものばかりです。
 また「どのぐらいの数値が得られればOKなのか」を知っておかないで、「これでもか これでもか!」と しゃにむ に責めても骨折り損になります。

 この度 自局の発射する本当の音質を確認したいと思い かねてから計画していたダイレクトコンバージョン復調器を製作し、自分の声で変調した送信機のダミーロード出力を復調してパソコンに録音し、いろいろの確認,調整を行いました。

 最初の目的は変調器のキャリアーポイントの調整でした、わずかに周波数を変えるだけで(50Hz程度?) ずいぶん聴感が変わることが判ったのが収穫でした。トランシーバーの送信部が良い音質であることを確認し安心しました。

 私 ここで考えつきました
かねてから持っていた 僅か1万円そこそこの オーディオ処理のAD-DA変換器と それに付属しているパソコンソフトの中に、オーディオスペクトルアナライザーのソフトがあることを思い出し、これも かねてから自作し重宝して使っているオーディオ2信号発振器で変調して 復調器を通し このスペクトルアナライザーで観測しましたら、なんと 私が所有することを夢にまで見た 高価な高周波スペクトルアナライザーと同様な波形がデシベル目盛の表示付きで観測できるではありませんか!!

        送信ミキサーユニットの2信号特性


 2信号特性が表示する波形は、機器に要求される重要な性能であるところの 直線性,信号対雑音比を端的に表します。

3次,5次,7次などの高次歪が少なければ、波形歪が少ないことを表します これは高調波の発生も少ないと言うことです。
また 信号対雑音比が悪い時はノイズフロアーが上ります。
ハム機器メーカーの広告で ファイナルの2信号出力波形で高次歪-40db以下の写真が掲載されているのを見て 凄い事だと感心しています。

「はたしてこの波形の示す数値は信頼に値するものなのだろうか?」と考え、
「絶対とは言い切れないけれど 復調器の直線性と供給するL.Oの波形が適正なら、かなり信頼できる数値である」と私なりに結論しました。

 リグの性能について 重要な部分は本物の高価なスペクトルアナライザーで測定させてもらったりしたことはありますが、自分の測定器みたいに自由に利用するなどは不可能ですから 結果を不完全なかたちで見る程度でした。
今は可能なところは 必要を感じた時すぐにでも観測することが出来ます。

 簡易に2信号のスペクトルを観測出来る様になったことで、自作のリグに対する信頼は更に強まり、また今後何をなすべきかなど目標が定めやすくなり、良い思いつきだったと自負しています。


測定の詳細説明へ   系統図ヘ戻る   H.Pトップに戻る




編 集 後 記


 拙いページをご覧下さいまして有難うございました。少しは参考にして頂けるものがありましたでしょうか。

 製作を始めてはや30余年の歳月が過ぎた今IT化時代の恩恵をこうむり 広く同好の方々に見て頂けるようになり 私も発表させてもらおうと 振り返りながらホームページを作り始めたなかで、改めて技術の進歩の早さと 時代遅れの自分を感じ、もう止そうかなと思ったりもしました。

 けれど アナログでも回路動作の思考をするのは大変に楽しいことですし、アナログならアマチュアが製作するうえで割合に簡単な構造工作と配線作業で機器を容易に作り上げることが出来ます。

 デジタルのハードは細かすぎてアマチュアの手作りには困難なことが多すぎるし、簡単な制御器なら可能でしょうが 本当に必要な作業は高度な理論を駆使したシグナルプロセスのプログラミングで、これはもう経験豊富な設計者とベテランプログラマーの共同作業でないと無理なのではないか、だったらアマチュアはアナログで遊べばよい、などと別の考え方を持つ時もあります。

 時代遅れかそうでないかはさておき、この遊びは面白いかどうかと言う考え方をするほうがよいとすれば、勿論 面白くて楽しい遊びだと声を大きくして叫びたいです。(横で見ているXYLはずいぶん自虐的な遊びだと笑いますが)

 そんなことで、改めて振りかえって製作した当時のことを思い出しますと、遭遇したトラブルのひとつひとつが 自分の持っているノーハウとして今も随所で力になってくれていることに気が付き、決して悪い遊びではなかったと考えています。

 私は2012年11月末 誕生日を迎えて80才になります。この歳になると視力に衰えが来てだんだんと製作するのが億劫になります、製作して遊べるのもあとわずかだなあと実感しています。

 先シーズンはこのシステムで初めてブラジル,ヨーロッパ(ブルガリア)とQSO出来ました Wも聞きました。実は私 現役当時は 仕事が11年周期でQRLになり今までオーバーシーは聞いたことがありませんでした、先シーズン開局して初めて6mオーバーシーQSOに出会えました。6mマンの私にとってはうれしい限りでした。

 若し何かございましたら JARL.COM経由でお願いします。

JA3FCB  中村 恵一

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